高校に入学して、少林寺拳法部に入部。自分は空手の心得があり、瓦を10枚割れます、先生は何枚割れますか?と豪語すると、当時の監督が瓦は割るものではなく屋根に葺くもの壊すのが目的ならトンカチでと諭される。
高二の本部合宿での前代表の法話で、おかゆの話、勝つことも大切だが負けない自分になるという話を聞き、他武道とは違う何かを感じ、当時から支部長ではなく、道院長になることを決心する。
やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじを目指す。
厳しさも必であるかもしれないが、勘違いされるほど笑いが多く、楽しみながら成長できる。
楽しいと自主的に取り組める、そんな仕掛けを心がけ、特に新入門者には、みんなの動きに加われるまで、道院長が手ほどきをする。
道院長自身が入門した部が廃部となり、帰るところがなくなる喪失感から、いつでも帰ってこれる、田舎の実家のような、また、教義や、易筋行が実生活に活用できる、そして伝統の上に新しいことを取り込み、新しい伝統にしていく。
道院長がいなくても修練でき、次の道院長を育成する。
修練は少年部と一般部が明確に別れるが、様々な行事などで、子供は大人とかかわり、大人は子供によい意味で口出しする。
少年部では、ある時期より交代で主坐を取らせる場を設け、敵ではなく、協力できる仲間意識を持たせ、行事などに取り組む会議などには、子供の意見も聞いてみる。
一般部では、日常の修練に加えて法器の研究も行う。
夏の道院合宿では、OB,OG や休眠拳士も顔を出し、鏡開きの雑煮は世界一!・・かも?
修練以外の事も先輩拳士や、目上の人からいろいろな話が聞けて自分の役に立っていると思います。(高校二年、少拳士)