■生涯学習の価値と強さへの憧れ
私事にて失礼だが、高校生から強さに憧れからひたすら追求してきた柔道の試合の日々であった。しかし、今強さとはなんなのか、二人一組の柔道の試合では強くて、不撓不屈の精神力を養えるのか。如何なる方法でも勝てば良いのか?柔道の教え(嘉納治五郎師範の精神)は受け継がれ遵守されているか。喧嘩、勝負、腕っ節、イコォール強い事なのか、それは別のものと考えている。15歳から武道を始め60歳(指導暦含む)にして今改めて思う。
■若い時期はとかく戦いを望む
若い血気盛んな時期の価値観と社会人との価値観は変わり、腕力の強さ、喧嘩に強い、強い格闘技を求める者が多い中で、しかし、この法治国家の治安に優れた日本では「社会人になると、易々と使えるものではない」戦わずして勝つ、ことである。
■社会人としての価値観
社会人からの武道精神は、もっと大切なものがある、人を育てる為の本来の武道として生涯の学習にしなければならない。
武道として「柔道、空手、少林寺拳法」も単なる技芸では薄いものとなる、一貫した教育システムにしなければ、この社会に役立つ人は育たない。一匹狼は、受け入れないことが多い。
■生涯学習として高いレベルまで
恐れ多いが日本の武道、格闘技に警鐘を鳴らすために、指導者は個性を見抜き、素材を生かし、一貫した信念とシステムで育成して、長上を敬い、後輩を侮らず、礼儀作法に徹し、高いレベルでスキルアップが出来る指導者でなければならない。
■少林寺拳法の演武について
少林寺拳法の演武について、その周知性や価値観が希薄になりつつある、特に部外者に勘違いされているように感じている。
少林寺拳法の現役拳士の幼児から80歳まで、男女の割合は2割が女性と聞いているのだが、何を目的に入門してくるのか問い掛けから始まり、まず基本→法形習得→技術習得→昇級受験→護身術習得→『演武で捌き・スピード・技スキルアップ』→乱捕り(柔法/剛法)→学科学習→昇格受験→自信を付け精神修養、そしてステップアップで目標を決めて、次の指導者を育てる。少林寺教育システムです。
■演武は心技体まで高める
演武は、心技体の格闘技の『攻め受けの護身の理』に適っているのかを考案し構成して、真剣に2人1組で掴み、受けから投げまで、一瞬の内に身をかわす必要がある。単なる組演武の構成では、形にばかりに拘ると形骸化してしまう。見ていても飽きが来る。
■ニーズに見合って目標を持たせる
40才半ば~60才からは単なる武道ではなく、格闘の強さ、健康増進、親子のコミュニティ等、様々なニーズを含んだ目標を持てるものが必要になってくる。
<下記>
・次世代への健康プログラム
・究極の護身術を追求する
・次世代への技の継承と少林寺システム
・万国に共通する高い表演力
・心技体、マスターズ演武に磨き
・親子で習えるもの
若い世代~永きに渡り~生涯生活の一部として武道を学び、生きがいとなり、生き方を示唆する尊い教えを遵守して、支えとなって強さに変わってくる。必然的に指導者は法話の大切さが身に染みてくる。合掌